ある野球部員の一生 (Patreon)
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俺の幼少期の記憶は、両親が人間の家賃の催促に謝っているシーンばかりだった。
「まだ奥さん若いんだ、働かせたら多少マシになるんじゃないのか!?」
窓から侵入してきた人間の巨大な手が母親を鷲掴みにして、父親は泣きながら土下座をして許しを請うていた。
泣きわめく俺達兄弟を睨みつけて
「育てる金も無いくせにネズミみたいに子供作りやがって…。ほんと小人ってのは…。」
人間の大家は母親をゴミのように部屋の中に捨てると、窓から手を引っ込めて別の個室の催促に移った。
俺達家族が住んでいるのは、小人住宅ボックスの立ち並ぶ人間の部屋の一室だ。例の大家もまた、この部屋を借りているのだろう。
幼い当時は鬼や悪魔のように映っていたあの大家だったが、今思うとけっこう寛大だったのかもしれない。
家賃の催促に来る以外、エアコンの操作やごみ収集に来るときなんかには、広場から手を振る子どもたちに照れくさそうに手を振り返してくれていた。
空いた一角に子どもの遊べる遊具を置いて、小さいながらも公園をしつらえてくれたのは優しさ以外の何ものでもないだろう。
それに、小人のための賃貸住宅の経営は大変らしい。大して家賃も取れないのに、猫やカラスにも取って食われてしまう繊細な小人達を保護しなければならないからだ。
猫一匹でもこの部屋に放たれれば、ここの借り主たちはたちまち全滅して賃貸経営は振り出しに戻ってしまうだろう。
そんな大変な賃貸経営をしているのに、家賃を滞納している俺の親を放り出さずにいてくれるのだ。
余談だが、人間たちの中では不労所得をちらつかせて小人用の住宅ボックスをローンで売りつける悪質商法が後を絶たないという。あの大家も、その被害者だったのかもしれない。
金も無いのに子供を産んで…という人間の誹りももっともだ。
両親とも工場のライン工を転々としていた。スキルに乏しい小人のための肉体労働だ。
大した収入もないのに兄弟は多く、幼い兄弟の面倒は親ではなく上の兄弟が見ていた。
何の保証もない老後の面倒を子供に見てもらおうという魂胆なのだろうが、彼らが自分の親に何かしている様子はなかった。
俺は中学を卒業する頃には、あの大家と俺の両親のどちらが悪人か区別はつき始めていた。
俺と兄弟たちは平日学校へ通う。
もちろん外を歩けば猫やカラス、小人攫いの格好の餌食となってしまうので、小人運搬業者を頼る。
人間が停留所に肩紐の付いた小人運搬ボックスを下ろし、小人の乗り込みを待ってから再び背負い、出前配達員のように次の停留所へと運ぶのだ。
小人運搬ボックスを自走式にした小人運搬バスが導入されたこともあったが、小人攫いにバスごと持っていかれる事件が多発したらしい。
停留所の近くにある待合所で学校からの迎えを待つ。その間にも様々な会社の人間が小人の従業員を迎えに訪れる。小人が外を歩くことはそれだけ危険なことなのだ。
学校では人間用に並べられた机に階段で上り、授業を受ける。
教室前方の机の上に数十名の小人生徒が着席し、残りの座席には人間の生徒たちが座っている。人数比で言えば小人のほうが圧倒的に多いが、占有空間は言わずもがなだ。
学校の教師や生徒は小人の生徒をまるで存在しないかのように扱う。
それは意地悪でもなんでもなく、本当に目に入っていないのかもしれない。小人に優しくしようとからかおうと何の得にもならないし、時間の無駄だからだ。
だが、一部の落ちこぼれにとってはいいおもちゃだった。
人間の不良生徒は休み時間、暇つぶしに小人を手に取って笑いものにする。
小人でキャッチボールをしたり、消しゴムの的にしたり、サインペンで落書きをしたり。
遊び道具として持っていかれた小人が、そのまま二度と帰らなかったことも珍しくはない。
小人が消えるなんてことは日常茶飯事なのだ。
人間と小人とはなぜこうも違うのか。
親からは「おじいさんおばあさんの世代が、小人として生きることを選んだからだ」と教わったが、わけがわからなかった。
一体どうして、恵まれた人間の立場を捨てて、小人になんかなったのか。
社会科の授業で近代史について学んだとき、その顛末を知ることとなった。
50年前には人間の小人化は国家プロジェクトとして推奨されていたのだという。
我が国では当時、人口爆発問題が危惧されており、食料やエネルギー・居住地など様々な必需品の供給が人口の増加に追いついていなかった。
そして、それらの問題を一挙に解決するため人間を小人化するという国策を採ったのだ。
国のプロパガンダによると、小人は安全なシェルターに住み、相対的に広大なスペースと潤沢な資源で快適に暮らせる、そしてその他数々の優遇措置で永遠に裕福だとのことだった。
そして多くの国民を不可逆な小人化に駆り立て、人口問題は解消へ向かった。
しかし、数々の問題が浮き彫りになった。
まず、労働人口の激減。小人化した人々の労働生産性は低く、経済の足を引っ張っていた。
他方で、小人は経済的・空間的余裕によりシェルター内で人口爆発。多産化・世代交代の急速化も見られ、「ネズミ化」と揶揄される現象が発生した。
労働者不足により、小人がシェルターの外へ働きに出る機会が増加する。結果、小人と人間の接触死亡事故が増加。
当初は小人相手であっても死亡事故は重大に扱われていたが、それによる逮捕者で今度は人間の刑務所がパンクしてしまう事態となった。
また、刑務所だけでなく警察も機能不全に陥ってしまっていた。小人の行方不明事件(ほとんどが小型肉食動物による)にリソースが奪われすぎてしまったのだ。
捜査人員を確保するため、小人の事件を専門に扱う小人の捜査官を登用する動きもあったが、一人残らず行方不明になってしまった。
やがて国は、小人の死亡事故の量刑を軽くしたり、小人の行方不明の捜査を早期に打ち切るといった対応を取らざるをえなくなった。
小人の死が軽く扱われるようになると今度は、小人に対して参政権が人間と平等に与えられている点に批判が集まった。
このとき既に、国家のガンとみなされていた小人の、参政権の制限が加えられるのに、そう時間は要さなかった。
現在、「十分の一法」と称される法律により、小人はあらゆる権利が人間の十分の一を目安に制限されている。
(運用開始時「四分の一」だったものが年々厳しくなってきたのだが、まだ大きすぎるとの批判がある。)
生徒達はこの授業を経て、日々感じていた小人の扱いの軽さの正体を学んだのだった。
俺はこの授業で社会科教師が笑いながら言った言葉が頭から離れない。
「小人の諸君はこれから、どうすれば人間社会に貢献できるかよく考えないとな。そのうち小人を害獣としてまとめて駆除する時代が来るかも知れないぞ?」
小人の就労への制限により、高校には小人職員の割合は少ない。
小学校こそ小人と人間が区分されているが、その後の分断教育は法律で禁止されているのだ。
これは将来的に小人が、小人同士の小規模経済に終止するのではなく人間の経済活動に貢献することが求められているためである。
結果、人数的にはほとんどが小人であるこの高校でも、設備は人間中心に作られているのだ。
小人の生徒たちにとって、学校生活はサバイバルだった。しかし、登校拒否は上述の理由により当然認められない。小人の親は国から罰されることを恐れて、文字通り殺してでも学校へ通わせるのだ。
しかし幸いなことに、俺は人間のターゲットになることはまずなかった。
俺は野球部に所属していたためだ。
不良の生徒たちも、野球部の人間たちの不興を買うことを恐れて野球部の小人には手を出して来ないのだ。
小人とて、一人の生徒として部に参加することは可能だ。むしろ、誰もが率先して参加する。
何故かというと、スポーツは小人にとって数少ない人生逆転のチャンスなのだ。
多くの職業では上述のように「人間の役に立つこと」が求められ、巨大な人間の下で馬車馬のように働くことになる。
それに対してスポーツは人間と小人とで明確に競技が分けられているのだ。人間と比べられることのない唯一の職業といえる。
普段は存在しないかのように扱われる小人だが、小人スポーツは人間たちも熱中している。圧倒的に人口が多い小人から選ばれたの選手たちのプレーは、人間たちをも魅了する芸術なのだ。
明るい将来を期待できない小人の子どもたちにとっては、数少ない希望の星だ。俺にとってもそうだった。
人間の野球グラウンドの片隅に目の細かいネットに囲われた一角がある。人間用のボールから保護するためだ。
その中で何百人という小人たちがトレーニングに励む。
何人も居る老練な小人コーチ陣は全員元プロの小人野球選手だ。
小人にとって生きることすら厳しいこの社会で、彼らが長く定職に勤められるのも、小人スポーツで成績を残した者がある種の特権階級にあることの証左だった。
俺は小学校の頃から野球に打ち込み、絶対にプロの小人野球選手になると決めていた。
俺の親のような負け組の小人になるのは絶対にごめんだ。
幸いなことに、ここの小人野球部はかなり力が入っているらしく、入部の際にも厳しい覚悟を問われた。
「本当に野球で名を上げたい、それができなければ死んでも構わない、そういう奴以外は帰れ!これは脅しでもなんでもない!」
俺にとってはその言葉も好都合だった。まさしくその気概を持っていたからだ。
実際、部に入ってから半年、信じられないような厳しい練習が続き、何人もの一年生が辞めていった。
それでも俺は練習に食らいついていた。本当に死ぬ覚悟で入ったからだ。
しかし最近は周囲の伸びが凄まじく、俺は不調に陥っていた。
俺はコーチにアピールするべく必死でバットを振った。
そのとき、様子を見ていたある仲の良い浅田先輩が声をかけてきた。
「おい山友、ちょっと来い。」
練習を抜けるところをコーチに見られたくはなかったが、その表情があまりに真剣だったので、気迫に押されてコートの隅へついて行った。
俺と向かい合った浅田先輩は、いつになく険しい表情で何度も言葉を飲み込んでいた。
そしてようやく口から出た浅田先輩の一言は、思いがけないものだった。
「山友…お前、野球部辞めたほうがいいよ。」
「どうしてですか…!?」
俺は驚いて感情が声にでてしまう。
「静かにっ…!」
浅田先輩は慌てて俺を制した。
「詳しくは言えないんだ…。だけど、お前もう、コーチに目をつけられてる…。今辞めればまだ間に合うから…。」
彼はたどたどしく言葉を選んでいた。
「嫌ですよ…まだ入部して半年も経ってないのに…!俺はまだ頑張れます…!!なんでそんなこと言うんですか!」
俺が詰め寄ると、浅田先輩は周囲を気にして慌てだした。
「わ、わかった!分かったからもういい!」
先輩は、俺たちの方を見ているコーチを見つけて表情が青ざめたように見えた。
「ごめん…俺、何も言えなくて…。」
浅田先輩はそう言い残して、逃げるように去っていった。
その後、俺は浅田先輩の言った事を気にしつつも練習に精を出した。
彼の言う通りなら、一層頑張らなくては。野球部をやめるわけになんか絶対にいかない。
そこへ、人間用のグラウンドの方からずしんずしんと近づいてくる巨大なスパイクがあった。
野球部の人間側の監督が小人野球部に巨大な影を落とし、中を覗き込んできた。
「おい、コーチ。そろそろ例のやつ始めるから。今月からは一年も、な。」
普段、小人の部活はコーチ陣に任せきりにしている監督が、じろりと小人部員を見下ろした。
監督は月に一度ほどこうして小人部員を呼びにくる。
これまでの半年間は二、三年生に限られていたが…。
俺達一年生は慣れない監督にビビり、先輩たちはガタガタと震えてすらいた。
コーチに従って百名を超える小人部員がコーチのベンチ前に集合した。
しかし監督がベンチにどかっと腰掛けて足を広げると、小人部員総勢はその両足の間に収まってしまうほどだった。
監督はベンチにふんぞり返って部員を見下ろし、
「始めて」
とだけ言った。
コーチはそれに応え、険しい表情で号令をした。
「これから、部員継続テストを始める!」
二、三年は「ハイッ!」と上ずった震え声で精一杯返事をしていた。
「これから呼び出す部員は前に出るように!監督が直々に体力テストをしてくださるからな!」
一年生は初めて聞くその命令に戸惑っていた。
「まずは二年、浅田省吾!!」
二年からどよめきの声が上がった。俺も驚いた。まさにさっき俺に声をかけてきた先輩だ。
「えっ…俺…いや…!!」
「お前、このテストのことを一年に喋っただろう。このことは最初のテストの時まで一年は知らせてはならんと言ったはずだ!!前に出ろ!」
「う…うわあああああ!!」
浅田先輩はその場から逃げ出そうとした。
「おい!捕まえろ!」
周囲の同級生はそれを取り押さえようか迷っているようだった。
浅田先輩はその隙になんとか人波を逃れる。
しかし、上空から監督の手が伸びて浅田先輩をあっさり捕まえてしまった。
「お前、バカだなあ。あんだけ言われたのにバラしたのか。ん~?」
監督は怯え叫ぶ浅田先輩を顔面に持ち上げる。
「まあ落ち着けよ。お前にそのルール破りを覆すだけの能力があれば見逃してやるからよ。」
監督は浅田先輩の両足を指先でつまみ、逆さ吊りにした。
「ほら、腹筋だ。」
浅田先輩は顔を真赤にしながら腹筋を始める。
あんな体制で腹筋を休まず続けるなんて、信じられない筋力だ。思えば、二、三年の先輩たちは頻繁にあの体制での腹筋トレーニングをしていた。
しかし、やがて浅田先輩も限界を迎える。
監督は恐ろしく冷たい目をしていた。
「ルール破りを許すにはあと100回は頑張ってもらわんとなぁ。」
しかし、浅田先輩はもう一ミリも上体を起こせなかった。
監督はそんな浅田先輩を高く釣り上げると大きく口を開けた。
そして、それを頭から口に放り込んでしまった。
「え…?」
俺を含め一年の全員がその光景を信じられなかった。
監督はそのままゴクリと飲み込み、口の中には浅田先輩の姿は無かった。
あまりにもあっけなく、あの浅田先輩の存在が消えてしまったのだ。
一年は震え、腰を抜かし、逃げ出そうとする者もいた。
しかし、コーチが叫ぶ。
「今から逃げようとするやつは同じ目にあうぞ!!」
それから一年は泣き出す者やへたり込む者がいたが、逃げ出すものは現れなかった。
「この野球部には死ぬ覚悟で入ってこいと言ったはずだ!
最初にこのテストについて明かさなかったのは、このテストの存在を知ったものには野球部を続けるか、死しか選択肢が残されないからだ…。
だから、これまでの半年はテストの存在を明かさないまでも、死ぬ覚悟を試すつもりで、本気でしごいてきた。
これからは一年生も毎月、成績下位の者にはテストを課すからな。
そして今月がその最初の回だ!」
その説明は一年の耳にはほとんど入っていなかった。
しかし、二、三年が呼び出され始めると、否応なくそのテストの全貌が目に入ってきた。
成績が不振だと判断された先輩たちが次々に監督に持ち上げられ、同様の腹筋を行う。
監督はプレッシャーをかけるように、部員を吊り下げてるその下に大口を空けて舌を出していた。
先輩たちはかなりの回数をこなし、監督の処刑を免れていた。
しかし、ある先輩が
「なんだ、もう終わりか?おい根性出してみろ。」
監督は逆さ吊りの先輩を指でつついて鼓舞する。
しかし、先輩は宙に揺れるばかりでもう上体を起こす力は残っていなかった。
「仕方ないな。」
監督はそう言って、先輩を頭から咥えた。
先輩の足はジタバタと暴れていたが、ずるずると口の中へひきづりこまれていき、ゴクリという音とともに一切の静寂に包まれた。
そしてとうとう一年生の番がやってきた。
「一年、山友!山友亮平!」
俺の名前だ。
俺は震える足で前に出る。
コーチは俺にしか聞こえないような声で告げた。
「すまんな…。俺たちだって命がけなんだ。がんばれ…。」
俺が震えながら立っていると、監督の肉厚な手が迫って俺をつまみ上げた。
「練習厳しかったろ。頑張って食らいついただろうになあ。
まあ一年だし、腹筋10回できたら許してやるよ。がんばれよ。」
間近で聞く監督の声は驚くほど柔らかだったが、俺を見るその目は、同じ心を持つ生き物のように感じられなかった。
言葉を口にするたびに開かれる口は、今まで何人もの野球部員を飲み込んできたのだ。
唇の奥にちらつくその舌は、不気味にうごめく魑魅魍魎のように思えた。
逆さ吊りにされた俺は監督と反対側を向いていたが、じっとりと湿った吐息が背中から襲いかかり、巨大な舌から立ち上る蒸気が今の俺の状況を目に見るより明らかに伝えていた。
俺は必死で腹筋を始める。しかし身体は震え、力が入らない。
数を数えることもできず、もう何十回もやっているとつもりになりながら必死で身体を起こすが、背後から吐きかけられた熱い空気にぞわぞわと力が奪われてしまった。
俺は気づくと宙ぶらりんになり、腹筋に力を込めるやりかたを忘れてしまったように浅く呼吸を繰り返すばかりだった。
そんな俺の背中にべとっと熱い物体が触れる。
監督の舌が俺の背中を持ち上げた。
俺はその力を借りながら、なんとか上体を起こそうとするが、もう限界だった。
俺が再びだらりとぶらさがると、監督はため息をついた。
突然俺の身体は持ち上げられ、顔面をべっとりと熱い舌が包み込む。
そのまま舌の上を滑りながら暗闇へ落ちていった。
周囲の空気が一変し、外の世界から隔絶された人間の身体の内側を感じた。
足を掴む指も離され、俺は必死で抵抗したが舌と唇がズルズルと俺の身体を吸い込み、俺の上半身が喉に締め付けられていくのを感じた。
真っ暗で、形容し難い空気で満たされた空間へぬちゃりと落下し静止する。
抵抗する気も起きない絶対的な肉壁に囲まれた地獄で、俺の意識は徐々に薄れていった。
僅かに感じる手触りは、監督の胃袋の壁面なのか、先に食われた先輩たちの亡骸なのか。
俺は小人の野球選手になるなんて淡い夢を抱いたことを後悔しながら、矮小な小人として監督の腹の中で人生の幕を閉じたのだった。